気になったこと日記 on はてな

突然ですがこちらに移転しました。

そういえば「ポマト」

「ポマト」で Google ると、

ポマトはドイツの学者が、自然界(しぜんかい)ではあり得(え)ないばれいしょ(じゃがいも)とトマトの雑種(ざっしゅ)を、細胞融合(さいぼうゆうごう)という方法により作ったもので、その子供(後代)を得ることはできませんでした。したがって、現在は作られることもなく、もちろん販売(はんばい)されることもありません。 

という「農林水産省『消費者の部屋(しょうひしゃのへや)』」というのがヒットします。

なんでこんなものを調べたのかと言えば、(またしても)青空文庫の「馬鈴薯からトマト迄」という石川三四郎のエッセイを読んでのこと。

馬鈴薯もトマトも本来同じフアミリイに属する植物で、根元に出来る実が、茎上の花の跡に成るとそれはトマトと同形同色の実になること、其れは或は近所に花咲いたトマトの花粉を受胎して其の結果を齎らしたのかも知れないこと、抔(など)を説明してくれた。

という下りがあり、「ほんとかよ^^」と検索してみた次第。む~。あるのか、そういうことが。私が「ポマト」を知ったのは筑波万博でのことで、かつ「あくまで人工的なもの」と思ってた。

なぜか好意を持っている中部電力のサイト中には「不思議な作物ポマトを作ろうという1ページのみのページがあって、いかにも簡単に作れるものだと紹介してる。

へ~。なんか気に入らないだろうと思うエッセイでも「発見(なんか恥ずかしいな(笑)」があるんだなあ。

石川三四郎は「社会主義者・アナキスト」に分類される人。そういう人が自然礼賛をするときにありがちなんだけど、

実際、百姓をし始めて、自分の無智に驚いた時ほど、私は自分の学問の無価値を痛感したことは無い。学校の先生の口を通じて聞いた智識、書斎の学者のペンを通じて読んだ理論、其れが絶対に無価値だとは勿論言へないが、併し私達の生活には余り効能の多くないものである。

という言い回しが大げさで、一方的で気持ち悪い。まあ自分の「ウリ」を表現しようとすればこういう極端にならざるを得ないところはあるんだろうけど。

「きっと気持ち悪いぞ」と思いつつ読んだエッセイ。思わぬところで得るものがありました^^。