『城の崎にて』を最初に読んだのは、もはや同一線上にあるとは思えない遠い昔。小学生の頃。以来何かを投げると「自分は偶然に死ななかった。イモリ(原文は漢字)は偶然に死んだ」という言葉が頭を離れなかった。「フェータルなものか、どうか?」とか。
昨日、筑摩書房の「ちくま日本文学全集」版で読み直してみたんだけど、この小説、やっぱり凄くないですか。
なんか狙ってるみたいで「大したことない」けれど、それでも出だしの「山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした」ってのに「インパクト」があるのは間違いない。
「自分は死ぬはずだったのを助かった、何かが自分を殺さなかった、自分にはしなければならぬ仕事があるのだ」と、まるで中学校一年生みたいなことを言って危惧させておいて、「自分もそういう風に危うかった出来事を感じたかった」と、そういう気持ちを相対化してしまうのは「嫌味」でしょう。危惧した自分がこの嫌味に触れて快哉を叫んだりする。
「蜂の死骸」の話はまるで、谷崎の『陰翳礼讃』に出てきそうな風景。鼠の話はいかにも白樺派を感じて面白い。
結びの「自分は脊椎カリエスになるだけは助かった」というのもすごい。これはまるで小説の表層に撒かれる「生と死」について、「本作は生と死について書いた感傷文ですよ」と「罠」を置いているような感じ。
それにしても筑摩書房。新書に好きなのがあまりないんですが、高い文学文庫をたくさん出していましたね。かなり買わせて頂きました(^^)。