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突然ですがこちらに移転しました。

柴田翔の著作権感覚

柴田翔を知ったのは確か大学時代かな。確か三浦 雅士の評論を読んでのことだと思うなあ。あまりタイプではないからなのか、大学に入るまでは名前も知らなかった(柴田翔 on Wikipedia)。

されどわれらが日々ー (1964年)
柴田 翔
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その柴田翔。最近日経夕刊の「あすへの話題」を書いてるんですよね。最初存命であることに驚いたりしたんですが^^。

で、昨日も柴田翔の担当で、タイトルは「日本語の無料使用」。内容は著作権に関すること。今、著作権の存続期間を 70 年に延長しようという動きがあります。これまでは著作権者の死後 50 年間だったから、20年延長しようじゃないかという話。

私の大好きな青空文庫などは、当然に反対運動を行っています。例えば延長反対の署名ページというのもあります。

この、今話題になっている著作権論議に関して、柴田翔個人の見解を示したのが昨日の記事。

(前略)(著作権延長に)私はいま一つ、気が乗らない。
(略)死後七十年とは、孫もそろそろいなくなって、曾孫の時代だ。
(略)古今東西さまざまな作品との対話、衝突、反発などの中から、作品は生まれる。(略)
(略)死後五十年も経てば、作品を古来からの広大無辺な日本語世界の時空の片隅に、長年の無料使用をお詫びしつつ、そっとお返ししてもいい頃ではあるまいか。

読んでわかるように、あくまで文芸作品に限った、柴田翔個人の見解。

自分の著作物の、死後五十年後の行方というのは想像しにくいけど、たとえば青空文庫なんかの作品が読めなくなるのは個人的にとても辛い^^。

ただ、私の曾孫(いや、いないけど)の時代になれば、筒井康隆の作品が著作権フリーで読めるというのは不思議なような羨ましいような悔しいような微妙な感覚。だけど青空文庫筒井康隆著作集なんかがあれば、きっとより多くの読者が手にとって、そしてより多くの「刺激」が世に広がるんだろうなあ。

個人的には隣接権含めた「著作権」という権利はとても良くできてると思う。50年ってのも良い塩梅かと思う。

保護期間の延長ってのは、それに伴う経済効果ってのが期待されてるのかもしれない。著作権者の意向とかは比較的小さい問題のようにも思える(柴田翔の言うように曾孫の時代だし)。

だけど「経済効果」ってことを言うのなら、「流通」から生じる新たな経済活動を期待した方が「前向き」な姿勢だと思う。メディアなんかがネットに載ったら経済システムがぼろぼろになるなんてことが90年代に言われてることもあった。確かにぼろぼろになった経済主体は確かに存在する。でも総体で見れば経済「規模」は拡大してるんじゃないのかな(閲覧資料なし。すみません^^)。

著作権保護期間延長には絶対反対!」と言うほどは勉強してない。でも「延長」を言う側の主張が、なんとなく後ろ向き、というか「創造性」を働かせていない議論のようにも思えてしまうのです。