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学習指導要領は「お節介」なのか。

昨日の日経新聞社説に「お節介すぎる学習指導要領」というのがあった。こういう話を聞くたびに思うのが、小学校を3つ変わった我が身のこと。

一度目の転校は大分から大阪で、地理的な距離がすごく大きな転校だった。二度目の転校は大阪→大阪で、距離的には近かったものの、行った先の学校は「同和教育指定校」だった。最初の転校で学習範囲が大きく異なっていて落ちこぼれ、そして三番目の学校では、前の学校で習ったことを援用しようとすると「そんな指導は行っていないはず」なんて叱られた。

小学校高学年の時期のこの混乱経験を、自分の中で解決するのに二年かかった。そしてその解決は「学校を拒否する」という自己決定によるもの。そのまま学校の流れに身を任せていたなら、きっと後に「もっと教育を受けたい」なんて思いは出てこなかったと思う。

(記事は写真の下に続きます)

学習指導要領はおせっかいか?

最初に「学歴社会」が否定され始めた頃から、教育界における「創意工夫」ってのが金科玉条のように繰り返される。だけど実体験として、少なくとも義務教育の間、指導範囲に「創意工夫」なんてものはいらない。小学生の時期なら指導方法の面ですら「創意工夫」はいらないのかもしれない。

「それでも国際的な学力調査では学校に於ける裁量の大きさが重要だというデータが出ている」と言われるかもしれない。でもそれぞれの国における「学力格差」はどうなっているか。日本はかなり高度の「学力均一国」だと思う。日本で「学歴社会」なんてことが言われて混乱があるけれど、諸外国における「学歴社会」度ははるかに高かったりする。

一次産業・二次産業の比率が少ない日本で、より明確な「学歴社会」制度を受け入れるのは困難がある。そうであれば学力格差を広げる方向への改革は受け入れられない。

そのような状況の中、「お節介」な学習指導要領は、確かに機能している面もあるんだ。「現場の創意工夫」なんていう美辞麗句に引きずられて欲しくない。また、加えて言うなら小学校を3つ経験して、そんな中で「創意工夫」して授業が楽しくなるだろう先生に出会ったことはない。彼らに「努力」はして欲しかったけれど、それを「創意工夫」なんてものに向けられたら、学校教育なんて崩壊してしまうんだろうと危惧する。