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突然ですがこちらに移転しました。

中学の理科・社会なんてサブ科目に決まってる。

とあるところで議論になった。

中学の理社というのは、ともすれば「サブ」的な扱いがなされることもあるが、それで正しいのかどうか。あるいは中学生が理社の成績を上げたいと考えるならどうすれば良いのか。

ま、ブレスト的議論の中であれば、やや極論気味になることもある。私の主張は「サブ科目であるに決まっている」。

主張の根にあるのは次のような考え。

  • 高校大学での学習に向けた継続性があるだろうか
  • 高校大学での学習に備えた積み上げとして機能しているか
  • 学習内容は、専門的な議論に繋がり得るだろうか …

これらの考えに対し、個人的にはすべて「否」と回答することになる。

たとえば「社会」にあっては、広く浅く、一般常識程度の知識を身につけさせる。その効用を否定はしない。しかしそれは「学問」に繋がり得るものではなく、いわゆる主要三教科とは一線を画する。

理科においては「数学」の知識が必要とされ、中学程度では学び得ないことが多い。したがって理科も「表面」的な事象をいくつか覚えこませることで成立している。むろんそんな教育も不要とは思わないけれど、正しく学問体系の中に位置づけようとするなら、数学の知識を身につけた後に「すべて」を学びなおさなくちゃならない。

さらに両科目とも、中学程度の知識で、専門的な議論に入り込みえる可能性は皆無と言って良いと思う。歴史は高校で、理科は大学で、ようやく「学問」としての体裁を整える(高校の歴史は整えない場合も多いけど)」のだと考えている。

そのような前提に立ち、中学生に対し、理社の学校以外の「教育」を施す必要は全くないと考える。学校の勉強も、半ば遊びの「お教室」程度かと思う。

そうは言っても理社である程度の成績を取っておかないと内申書にも響くし、高校入試にも実際理社科目が存在するという「問題」がある。この「問題」には、確かに対処せざるを得ない。で、そもそも学問への「繋がり」を持たない科目なのだから「必死」に対処するのはイケテナイ。

自分自身を振り返ると、上のような考えを持っているんだから、当然に理社が得意なんてわけはなかった。中学1年生くらいの頃は、理社の位置づけに悩んで懸命に勉強したりしたけれど、それに成績がついてくることはなかった。

たどり着いたのは「邪道」とも思える学習法。それは「ひたすら問題集を解いてQ&Aの形式になれる」こと。「一問一答」から入り、問題集を5冊から10冊程度、繰り返し解く。どんなに暗記が苦手と言っても、同じ問題を何度もやってればそのうち覚える。

そのように「問題集をひたすら解く」ことが「本当の実力に繋がるのか」と、悩みはした。しかしそもそも理社においては「本当の実力」なんて求められていない。

そこがふっ切れてから、理社の得点で困ることはなくなった。理社における「学問」的楽しみは大学生になるまでとっておけば良かろう。そのときであっても、中高で身に着けた「小手先」の知識も役立つ。理社の成績が上がらないのは、中学理社を「学問の一段階」なんて考えてしまう「過ち」にあると結論している。