1番好きってわけじゃないんだけど。何度聴いても面白い。「ギョケェェェっ」は最高じゃないか。
気に入って連れともなんども「ギョケェェェっ」なんてふざけていたのに、忘却能力に優れた連れ、2日ほど間を開けたらすっかり忘れ果てていた(涙)。
『落語を聴くなら古今亭志ん朝を聴こう』の中で、林家たい平も志ん朝の「御慶」について触れている。
ちなみにこの林家たい平も小さん、枝雀、米朝を聴いていくうちに「寄席に行ってみよう」という気になってきたと言ってる。演者の流れ的にもちょっと近しい感じがするな。
その中で決定的に「この師匠はスゴイ」って思ったのは、大学四年の時に、お正月のラジオで聴いた『御慶』!
「舞台を広く見せなさい。空聞を広く見せるために目の前と話すんじゃなくて、もうちょっと向こうに声を飛ばしてあげることによって、空間に広がりができるんだ」と言われたそうですが、のり平先生に学んだことが志ん朝師匠の『御慶』には凝縮されている。
落語を聴いて初めて鳥肌が立ったりが、志ん朝師匠の『御慶』でした。
林家たい平は、この「御慶」の中で描かれる風景について主に述べている。それは確かに間違いない。江戸の風景の描き方という点ではトップクラスに入る落語だと思う。
ただ、ぼくの場合はまず驚いたのが多様な登場人物それぞれの「人の良さ」。たとえば夫婦。お決まりのように夫婦喧嘩で幕を開け、奥さんの方は「もう別れよう」という話をする。それが帰ってきた旦那が富くじにあたった興奮から土間に座り込んでしまったときに、「まあこっちにお上がりよ」とやさしく声をかける。
そのやりとりをきくだけで、奥さんの人間性やら、これまでの苦労なんかがわかる。さらにはその奥さんが「お上がりよ」と言う夫の方も根っ子のところでは悪い奴じゃないんだなということが示される。
実はこの「お上がり」の台詞が出るまでは、この旦那が「身勝手な」「鼻持ちならない奴」なのかなという雰囲気もある。しかしこの奥さんの台詞で「ああ、そうだったのか!」と聞き手に安心感をもたらす働きがある。そしてそういう男が富くじにあたったことを一緒に喜ぶ気持ちとなり、それから後半の「ギョケェェェっ」に繋がっていくという仕組み。
話自体すごく面白いし、そして組み立ても素晴らしいな。
『落語CD&DVD名盤案内』(矢野誠一)によると「五代目柳家小さんの十八番であった」とのことらしい。まだ志ん朝版でしか聴いたことがなく、ぜひとも小さん版を聴いてみようと思う。