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突然ですがこちらに移転しました。

木彫ウソを作った時

木彫ウソを作った時」というタイトルを見て、どういう印象を受けるだろう。

私は何か「不条理なエッセイ」を期待して読み始めてしまった。そう、前記事と同様、青空文庫・高村光太郎のエッセイ

まいるんだよなあ、こういうことされると。こちらは「木彫の嘘」とはいったい何なのだと身構えてる。「木彫」と「嘘」の関係について自分なりに一所懸命考える。考えて画面を開くと

私は自分で生きものを飼う事が苦手のため、平常は犬一匹、小鳥一羽も飼っていないが、もともと鳥獣虫魚何にてもあれ、その美しさに心を打たれるので、街を歩いていると我知らず小鳥屋の前に足をとめる。

なんて文章で始まってしまう。「ああ、しまったよ」と思い、かつ「当時の文化においてカタカナでウソと記せば鳥のことを示すに違いない」と思い至らなかった自分が恥ずかしい。嘘とウソを引っかけた文章を書くのは高村光太郎テイストじゃないようだし。

延々文章による「ウソ」の説明はさすが彫刻家と思われる。しかし文書の最後が参るじゃない。

それから鑿(のみ)を研ぎ、小刀を研ぐのに二、三日かかって、わき目もふらずに彫りはじめて七日目にやっと出来た。出来た結果は思(おもい)の半分にも及ばないが、毎日懐(ふところ)に入れて持って歩いた。飯屋でもそれを出して見ながら飯をくった。まだ健康だった頃の智恵子が私にも持たせてくれとせがんだ。

いや、おまえ。さっきまで淡々とウソを客観的に示すべく努力してたんだろう、と。いきなり「智恵子が」なんて言うのはインチキだろうと(笑)。

一粒で二度参りました。