今日は井伏鱒二の誕生日だそうです。
以前、職場で『山椒魚』の出だし部分、「山椒魚は悲しんだ」だったか、「山椒魚は悲しかった」だったかが気になってしょうがなくなり、徐ろに書店に行って買い求めたことがあります。
ところで『山椒魚』。オリジナルのタイトルが『幽閉』であったのは有名な話ですけど、
1985年、『井伏鱒二自選全集』(新潮社)に収録する際、井伏はこの作品の末尾「ところが山椒魚よりも先に~おこってはゐないんだ」の部分を全て削除してしまった。(Wikipedia 「山椒魚」)というの、ご存じでしたか。私は今日知りました^^。
む~。あの結末、素晴らしい味を出していたと思うんだけどなあ。
先に引いた Wikipedia の記事によれば、井伏鱒二が読者の誤読に怒って末尾部分を削除したという説もあるとか^^。まあ、それならそれで面白いか。やはりその Wikipedia の記事に引かれている野坂昭如の論調もちょっと同意できない感じではあるし。
そう言えばその昔。省略されている版の山椒魚を読んで、解説に省略部分が掲載されているものを見た気もします。最初に非・省略版を読んで、そののちに省略版を読んだために印象に残らなかったのかな。
あの結末はあった方が良いと、個人的には思います。