煽ったりするわけじゃない。本気で立川談志の魅力がよくわからない。恥ずかしい思いをしてる。人気を集めた噺家だから、趣味はともかくとして良いところがあるはず。それがわからないってことは「大損」こいてるって話だよな。
枕があまり楽しいと思えないなんてのは単なる趣味の話でどうでもいい。特に気になるのは「噺の途中で現実に引き戻す(客席との対話を行う)」ところ。
ものの本によれば、噺が始まったあとは客席との直接的対話はあり得ないことだと書いてあったりする。
上に載せた画像は「文七元結」からだけど、噺の途中で「この前に別のシーンがあった方がいいね」なんてことを語りかける。これまでにDVDで見たのは「堀の内」、「居残り佐平次」、「天災」、「寝床」、「権兵衛狸」など。ほとんど話しかけないのもあるけれど、結構頻繁に客席への語りかけを行う。
客席への語りかけが行われると、どうしても一瞬「噺」への集中力が途切れてしまう。そんなことは当たり前のことで、それでも何らかのメリットがあるとして「語りかけ」を行っているんだろうけれど、その理由が全く想像できない。
「ここまでやったのは誰それバージョンで、誰彼バージョンだとこんな風に続く」なんて話が入るとはっきりいって不快なほどに邪魔。
「それでも語りをいれる理由」ってのはきっとどこかで語られてることなんだろう(先にも書いたように、絶対のご法度だと言う人もいる中で敢えて反対を行っているわけだから)。納得できるかどうかは別としてその理由が知りたい。
あと、これはぼくの耳の未熟さによるところが大きいと思うんだけど、登場人物が3人以上になったときの区別が難しい。メジャーどころの落語は他の演者で聴いているから補完できるんだけど、はじめての噺を談志で聴くとすごく混乱してしまう。
たとえばぼくがセットでDVDを持っている志ん朝と比べると「語り分け」のスタイルが全く違うように思う。これもおそらくは理由があってのことなんだろうけれど、その理由が創造すらできない。ぼくの理解では「単に分かりにくい」ことになってしまってる。
談志はDVDもたくさん出ていて、せっかくだからこれからも聴いていくつもり。ただ上の疑問が解決できないと、何を見ても疑問にばかり拘泥して注意力が落語に向かないなんてことになる。
どなたか(やさしく)「談志風落語の楽しみ方」を教えてくれないでしょうか。