落語世界に引き込まれてしまう『志ん生的、文楽的』(平岡正明)
芸能関係の本は読んでいないけれど、『あらゆる犯罪は革命的である』などはずいぶん昔に読んだ。そして結局『犯罪学』などに手を染めたのは昔の話。もちろん筒井康隆関係の著作も読んだ。
その平岡正明に落語論があることは全く知らなかった。落語自体に興味がなかったせいで、「落語」というタームの入っているものはほとんど意識から抜け落ち続けていたのだなあと、最近になって思う。
著者の名前にひかれて「何かの参考に」と軽い気持ちで買った本。これが最高に面白かった。タイトルは『志ん生的、文楽的』。
実のところ、落語に興味を持ち始めてると言っても、志ん生や文楽の良さがわかってきたのはつい最近。志ん朝から落語に入ってきたぼくは、録音の質からしてもなかなか両巨頭に耳が馴染まなかったし、また志ん生については志ん朝と対極にあるかのような話し方にも馴染めなかった。
そんな中でもなんとかかんとか文楽の面白さを感じ始めていた頃に読んだ本。この本で徹底的にマクられてしまった。本を読むうちに志ん生や文楽に対する興味が強くなり、さらに読んでいる最中から志ん生や文楽が面白く感じられるようになった。
なんてお得な本なんだ…
ただ普通に最初から読むと「免疫」のない人はいやになっちゃうかもしれない。
「ダウンビート」は十日からだ。手もちぶさただな。落語を聞きに行こう。原チャリでトコトコ、不景気な七草の町を走って、野毛坂に着いて、テレッレ、テレッレ、ドンドン、下足札もらって、一晩トロッキーを読むと俺は革命家の顔になり、二晩ジャズを聴くと黒人みたいな顔になり、三本座頭市のビデオを見ると人を斬りたくなるから、したがって正月中は俺がその三つのうちのどれかの顔をしているのだが、年末から落語論を書いているので、この原稿だけどざ、もうすっかり落語家の顔になって下足番号の席について、ヘッドフォンを頭にかむると、テレッレ、ドンドン、寄席囃子が鳴ったあとに、エー、いっぱいのおはこび、御礼申し上げます。
よく読まないと、そこらのハイなフリをするだけの文章と同じに感じられてしまうかもしれない。よく読めばこころ乗り越えるのも難しくないけれど、しょっぱなから苦労をするのが嫌だという人は後ろから読むと良いんじゃないかと思う。
最終章は「志ん生『らくだ』と老舎『駱駝祥子』」。『駱駝祥子』がわからなくても(本文の中に解説がある)、「らくだ」解説として存分に楽しめる。
久蔵が、カンカンノウを踊らせるためにらくだの死骸を生傷男に背負わされたときから久蔵に変化が生じている。酒を飲んで変る以前に、死骸を背負って彼は変りはじめている。死者にカンカンノウを踊らせるのが面白くなりはじめているのだ。
「らくだ」は幼児性をもつ馬鹿で、傷男は本職のヤクザであると解説する。そして、それらのはるか上をいくのが屑屋であるという解説は読んでいてとても面白い。
メインに扱うのはあくまで「落語」ながら、さまざまな噺を紹介しつつ平岡正明のすべてが記されている。噺家についても志ん生と文楽を比較するだけでなく、古今さまざまの噺家との比較も出てくる。
「水に落ちた幇間はぶちのめすべし」という章では志ん生と文楽の「鰻の幇間」を徹底的に比較する。そこから「文楽の『つるつる』」、「志ん生の『つるつる』」につながる幇間論は「平岡正明が入りすぎている」と思わせるところもありながら、読んでいて非常な迫力を感じる。
噺家が用いた「言葉」や「リズム」に興味を持って落語を読む人が大いに楽しめるのは間違いない。
ところでうちには文楽の「つるつる」(DVD)はあるものの、志ん生の「つるつる」はない。代わりにあったのが立川談志。前にも書いたように、ぼくは談志がよくわからない。
「つるつる」についての文章の中で平岡正明は次のように言っている。
一八は相手の口をふさいで言う。「あたしあ、あなたが、憎いよ」憎い、という一八の言は、憎いね大将、という幇間のョイショではない。一八は切ない。
あるいは「桂文楽は幇間一八が自分をコントロールできなくなっていることを、コントロールしているのである」というようなことも書いている。
談志と比較してみると、確かに談志の演じる一八には軽みがあり、文楽の演じる一八とは全く異なる。談志はそもそもわからないので優劣は論じないけれど、「文楽の意図」がより際立って見える。そしてこの『志ん生的、文楽的』が一層面白くなる。
読み進めるうちどうしても落語が聴きたくなり、そして落語を聴けば本書を開きたくなる。あるいは読了までに相当な時間がかかってしまうこともあるかもしれない。
P.S. 談志の「つるつる」(DVD)は悪くなかった。彼独自の「くすぐり」は、あまり面白いとも思わないんだけれども(彼のものに関わらず、「独自」のくすぐりはつまらない確率が高いように思ってる。でもよく出てくる噺から離れた自己主張もなく、見やすい噺だった。
また、気づいたこと1つ。談志はどうやら上下を他の噺家とは違って演じているのかな。見る人の視点による上下転換を行ってるのかもしれない。興味深いとは思うものの、従来の技法と離れた上下展開が効果的とまでは思わないけれど。
もちろんこの「つるつる」からの印象なので、変わった上下展開など全く狙ってはいないのかもしれない。