平岡正明の『大落語(下)』を読んだ。上巻の方は平岡正明の「遊び」が入りすぎて、平岡正明と同時代を過ごした人でなければわかりにくい本になっていたかもしれない。しかし下巻の方は話題も落語中心になり、落語好きなら誰もが楽しく読める本になっていると思う。
この『大落語』の中に、岩波から出ている『落語の世界』シリーズについての言及があった。どうやら古本でしかないようだけど、全3巻を早速入手した。
1巻、まずウリは冒頭の桂米朝インタビュー。さらに巻末には柳家小三治インタビューも収録されていてそれだけで面白い(落語を廻る文化を語ろうとする言説は、実はあまり面白いと感じない)。今2巻を読んでいるところだけれど、「名人芸の言語空間 志ん朝と枝雀」という章もある。大いに興味を持って読んだけれど、内容はさほどに感じ入るものではなかった。
どうやらこの『落語の世界』シリーズは、言説を楽しむというよりも、所々に埋め込まれている資料的なものに面白さを感じるものかなと感じている。逆に言えばそこに十分な価値があると思う。
さて、その1巻におさめられていたのが、下の「らくだ」。
『落語の愉しみ』所収「らくだの見世物」 posted by (C)torisan
もちろんこれは落語の演目である「らくだ」を廻る話の中で出てきたもの。
よくいろいろな本でらくだの「巨大さ」と「のっそりしたところ」、それから「機嫌を損ねたときの乱暴さ」から「らくだ」のあだ名になったのだという解説がある。確かにその言語は正しいんだろう。ただ、らくだってのはわりと「可愛らしい」生き物のような気がしていて、どうも落語の「らくだ」とのギャップを感じてしまったりもした。
でも。この絵はいいなあ。顔が怖い。こいつなら死体を加えてカンカンノウを踊らせることもありそうだ。皮が弛んでいるのか、皮膚の下の筋肉をイメージしているのかわからないが、シワの寄った身体はちょっとアブドーラ・ザ・ブッチャーを思わせる(ちなみにファンク兄弟フォークメッタ刺し試合はリアルタイムでテレビ観戦)。
ともかく。「らくだ」に出てくる「らくだ」は、睫毛の長いかわいい動物ではないってことですね。