犯罪は、本当にペイしないよ(とくに少年よ!)
犯罪はペイしない。よくいわれることだけど、これは「犯罪によって利益は得られない」というだけの意味じゃない。犯罪を犯すと、最高レベルの恥辱に耐えなくちゃいけなくなるんだ。
「執行猶予が開けた後も、このような裁判に関わるようなことがないように生活してもらいたいと思っています」なんていう、オヤジ的・バワハラ的お説教を聞かされても、なんの反論もできない。
— maeda hiroaki (@torisan3500) 2018年11月30日
犯罪は、ペイしない。
via #日経新聞
吉沢被告に地裁有罪判決 飲酒ひき逃げでhttps://t.co/dDmJuHFqX4
裁判ではしばしば裁判官から「人情味」のある言葉がかけられるらしい。「被害者のことを思いながら、これからの人生を一所懸命生きてください」とかなんとか。言われなくても生きるっつーの。
でも「執行猶予」という人質をとられていたり、あるいは応答がメディアに暴かれたりということになると「殊勝に」受け答えせざるを得なくなる。
しかも、報道を見る限り、裁判官たちは機に乗じて「素敵な」言葉を言いたがる性質を持つ人が多い様子。
罪を犯した自分は悪い。罪は償わなくちゃいけない。しかし、その償いに、「おっさん(おばはん)からの、人間性を無視したパワハラ発言に耐える」ということも含まれるのかどうか(含まれていいわけがない)。
犯罪によって行った「自己主張」は、そのあとに徹底的に潰される。行為に含まれる悪のみでなく、人格も生い立ちも、すべて否定される。
犯罪は、とことんペイしない。