「電報」は絶滅危惧種だね。Wikipediaにも次のようにある。
電話やファクシミリ、メールやインスタントメッセージの普及により電報の使用は少なくなっていった。たとえば日本では、1976年(昭和51年)に電電公社(現・NTT)が至急電報の取扱いを終了させている。21世紀初頭現在、NTT自体も電報を祝電・弔電など文化的な使い方に特化した位置付けで宣伝しており、現代を舞台とする小説や漫画に連絡手段としての電信が登場することはほとんどない。
中学生に「電報って何?」と問うと、「デンポー」の「ポー」から鳩を連想するのか「伝書鳩通信?」なんて返事が帰ってきたりする。
「カネオクレタノム」なんて話も全く通じない時代なんだろう。
それはともかく。ぼくが受け取ったいちばん悲しい(?)電報は「ムスメイマシタ レンラクコウ」だ。
ぼくは学生時代、しょっちゅう電話を止められていた。仕送りで家賃を払って本を買うと、電話代など払う金がなくなってしまっていたのだ(食費が月に3000円だったりもした)。
いつものように、電話が止まっているとき、ぼくを慕ってくれていた女性のうちに公衆電話から電話をかけた。たまたま入手したチケットで、映画に行こうと思ったのだ。
電話には彼女の母親が出た(携帯電話などない時代の話だ)。「ナリコさんはいらっしゃいますか?」と問うと「いえ、でかけていていません」との返事。どうしようもない。「わかりました」、と電話を切った。
電報が来たのは30分後くらいだったろうか。
ムスメイマシタ レンラクコウ
ナリコさんは、庭で水やりをしていたらしい。それを母親が勘違いして「留守だ」と答えたようだ。
そんな状況で、娘は激キレた(笑)。
おかあさん! なんてことするのよ! あの人はしょっちゅう電話を止められるから、もう連絡なんかできないんだよ! お金がない中、公衆電話から私に電話してくれたんだよ! いないなんて言ったら、もう連絡こないじゃない!
お母さんは悲しかっただろうなあ…。大事な娘が、電話代も払えない馬鹿と付き合っているんだ。しかも「金のないあの人が公衆電話で電話してきたんだよ!」なんていう理由で娘がキレまくっている。
お母さんは「これで縁が切れるなら僥倖だ」と思ったに違いない。でも娘のキレ方が尋常じゃない。きっと「こんなことすべきじゃない」と思いながら、娘のキレ方に恐れをなして電報を送ってくださったに違いない。
お母様。本当に申し訳ありませんでした。そこまで金のないやつが女と付き合ったり、あるいは女を誘ったりすべきではありませんでした。お母様におかけしたご心痛は、多大なるものであったと想像します。
この件以来、ぼくは「人に与える不幸」について考え始めた。他人に「不幸」を感じさせる機会はできるかぎり減らすべきだ。
「あ、ぼくはいま、悪いことをしてしまったな」と思うといつも「ムスメイマシタ レンラクコウ」の電報が思い出されるのだった。