都立高校入試には、英語スピーキングテストが導入される。感想を簡単に言えば「くだらねえ」。
そう思うのはぼくだけでなく、いろんな理由からの反対意見もある様子。
出たな、国葬と同じ「丁寧に説明」作戦(笑)
— maeda, h (@torisan3500) 2022年9月22日
> 一方、立憲民主党が20日にテストを入試に使わないよう求める条例案を都議会定例会に提出するなど異論も出た。都教委側は今後、丁寧に説明するとしている。
都立高入試、英語にスピーキング導入決定 23年度入学:日本経済新聞https://t.co/UOqrV8qoge
「英語」の観点から言いたいこともたくさんあるけど省略。ここで注目するのは「丁寧に説明」。
最近、「丁寧」の価値も大幅に減じたようで、無意味な「丁寧」が続出しているような気がするね。
直近の話題なら「国葬」。
国会で「国葬決定は誤りだろう」と問われた首相曰く。
国民の理解を得るために丁寧な説明を続けたい。
「続けたい」もなにも、「丁寧な説明」などなされたことがあったか(笑)。首相自ら、その説明の直前に次のように言っている。
丁寧な説明が必要だったという指摘は謙虚に受け止め、引き続き説明に努めたい。
「必要だった」と言われて、それを「謙虚に受け入れる」んだそうだよ。ってことは「必要」を満たしてなかったんだろう。つまり、「丁寧な説明」などなされていなかったんだ。
こうして政治家たちは、次々に言葉の意味を軽くする。それでいて何かあると自他ともに、国会を「言論の府」と言ったりする。議員たちがいうだけなら笑ってすませれば良いんだろうけれど、メディアもこぞって政治活動=言論活動だとふざけた等号を結ぶ。
まあ、そこを譲ってしまうと、「政治」を「利権を伴う高給な仕事」なんて定義しなくちゃいけなくなるのかもね。そうなれば、そしていろんな利権を握るメディアも辛くなる。政治家&メディアの間に密な協力関係が生まれるところなんだろう。