宮沢賢治の『ありときのこ』という作品読了。いつものように Top ページに表示されている「青空文庫」の新着情報より。
う~ん。最初読んでみて「なんか妙に面白くないじゃない?」と思った^^。なんか実験作品ないしは中途でやめてしまった作品に思えてしまう。
ところがね。青空文庫の『ありときのこ』の後ろに添付している注釈でわかりましたよ。
初出:「天才人」
1933(昭和8)年3月号
※初出時の表題は「朝に就ての童話的構図」。
うむ。それならわかる!
この短編(超短編)小説は「朝に就ての童話的構図」なんだ<ままやんけ^^。つまりは、「朝」に関する俳句の、童話的解説文なんだ。
ちょっと独りよがりだな。
つまり、宮沢賢治は「朝のシーン」の映像を、言葉にしようと思った。「俳句とは写真芸術だ」というのは私の持論なんだけど、きっと宮沢賢治の頭の中には、俳句とイコールである朝の風景写真が描かれていたんだな。それを宮沢賢治風の童話にして解説してみようという試み。
読了の瞬間に「実験的」ないし「中途半端」の印象を抱いたのは間違ってない。
たとえば『山椒魚』の元タイトルは『幽閉』だったけど、この場合は『山椒魚』を支持したい。でもこの作品の場合は、「朝に就ての童話的構図」というオリジナルタイトルの方が、擬人化された蟻たちのヴィヴィッドな動きが伝わってくる。子供の蟻が登場する理由もわかる。
「ありときのこ」というタイトルと本文からは、あるいは蟻を擬人化する必要性すら伝わってこないものなあ。
「著者の意図」で改変を加えたものは、たいてい改変後を支持する私です。でも「オリジナルの方が良いじゃないか」と思うものもあるのだなあ。
ほのぼのと宮沢賢治を読みつつ、ほのぼのと感心しました(^^)。