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突然ですがこちらに移転しました。

ソースデータを知りたい「新聞記事のオープン化」

イザ!に「始まった『新聞記事オープン化』 生き残りへ米ローカル紙の賭け」というタイトルの記事があった。

 「非商用目的なら記事を自由にお使いください」-。米国の地方紙が、一定の条件下で自社の新聞記事の複製や頒布を自由に認める使用許諾を開始。ネット対応を先鋭化する米新聞社が、いよいよ「新聞記事のオープン化」にまで乗り出した。

興味深い記事なんだけど、ちょっとわからない点がある。

まず第一に、記事中で「新聞社のメーン著作物」と記されている「記事」の経済性。

一般新聞記事の著作物性を厳格に規定して、著作権者以外の「再利用」に制限を課すことで、新聞社にどれだけの「経済メリット」があるんだろう? むしろ再利用を促した方が経済性の面からは有用なんじゃないのかな。

昔から新聞社は「ネット」に対して嫌悪感を表に出すことが多く、ネット側からの歩み寄りには「そんなことあり得ない」と、切り捨てることが多かった(そういう意味で asahi.com の登場は、結構驚きを持って迎えられた)。一刀両断に切り捨てられるネット側は、なぜ新聞社がかくも嫌悪感を剥き出しにするのか理解できなかった。

今回の「米ローカル紙」の試みは「賭け」と評価されてるけれど、むしろ「付加価値創造」なんじゃなかろうか?

関連する疑問なんだけど、記事中に

半面、新聞社がコストをかけて作成した記事コンテンツを無償提供すれば、公開した時点で独占性が失われ、再利用ビジネスの機会が狭まることになる。
という記述もある。

無償提供した時点で再利用ビジネスの機会が狭まるというのも、ちょっとわかりにくい。既存の「再利用ビジネスの機会」を把握してないからかなとは思う。しかし記事を無償公開するとは言え、著作権の放棄ではない。また再利用ビジネスにおいてはどうせ編集著作権などがついて回るわけで、記事の公開が即ち「機会が狭まる」ことに繋がる仕組みがわからない。

著作権とは著作物の流通の仕組みを支えるものという視点に立てば、これまで「制限方向」に著作権を利用していたあり方こそ疑問で、よく考えてみれば「流通させるため」の観点に立って著作権法を適用したところで「実は何の損もしていなかった」ってことになるんじゃなかろうか。

もちろん。過去の新聞記事検索のみをサービスとして行っていた業務にとっては大打撃だとは思う。但しこれは、付加価値のない検索サービス「だけ」を行うことこそが著作権にあぐらをかくサービスだったのだとも言えると思う。

また、記事の「米ローカル紙の賭け」の背景には、賭け(前述のように「賭け」とも思えないけれど)に出ると決意した「背景」があるはず。記事の再利用によるビジネスの可能性などが皆無であれば、何も今更「記事をオープンにする」などと宣言しないだろうと思う。

この「イザ!」の記事は「賭け」の用語選択でもわかるように「どえらいこと」風にリードする記事かとは思う。しかし実は「どえらいこと」でもなんでもなく、単なるひとつのビジネスモデルが提示されたというだけのことかもしれない。おそらく「賭け」に出た新聞社(グループ)を一所懸命あたればその辺の記事も出てくるんでしょうね。時間があれば探ってみます。

取り敢ず。日本でも過去記事の検索/閲覧くらいは広くオープンにして欲しいなという思いがあります。

# と、思ったらイザブログのユーザブログ内の記事で、ある程度のソース情報を示してくれてた。さっそくあたってみようかと思います。