恥ずかしい告白をする。実は最初に志ん生のCDを聞いたとき(演目は忘れた)、「ちょっと志ん生は面白くない」と感じた。「志ん生の面白さってのがわかるまでに何年かかるだろうなあ」なんてことも思った。
あるいは逆に、落語のお勉強を始めるにあたってたくさん(当社比)聴いた志ん朝について、「単に聴きやすいから気に入っているだけなのかなあ」なんて疑問ももった。「表面的な聴き方しかできてないんだろうなあ」と。
ただそれからしばらく。いろんな演目を耳にして、「この演目は志ん生できいてみたいな」なんて思うものも出てきた。少し「落語を聴く耳ができてきたんだろうか」なんて自己満足中(笑)。
今回買ってきたのは「山口屋のゆすり」(聴いたことはない)、「替り目」、「抜け雀」の入っているCD(追記:このCDは良い。確かに名人なのだと納得できる音源だと思う)。
この志ん生版で一番気になったのは雀絵の作者が二度目に訪問したときの宿主に対する質問。「雀は無事か」と尋ねる。
CDを聞きながら「えっ」と声を上げるほどに驚いた。「口がすべったのかな」と思った。元絵作者の側が、雀が疲れて死んでしまっているのではないかという疑問を持ってはいけないと思っているから。ストーリーを知っている志ん生がつい口を滑らせたのかと。
だけどさらにその直後、元絵作者はさらに念を押す。「よくあの雀がもってるなあ」。
念を押すのであれば、元絵作者側にも「雀の生死」に関する意識があったという解釈なのだろうな。しかしそう解釈してしまうと、この絵師親子の関係の理解が難しくなるように思うんだよなあ。
そういえばこの「抜け雀」。以前にも桃月庵白酒版との比較をしてみた。いずれも「細かいニュアンス」ではないところに違いがあるのが興味深い。
志ん生版、もうちょっと聴きこんでみようかなあと思っているところ。
尚、上に書いた「大きな違い」以外には「志ん生の勢い」と「志ん朝のビジュアライズ」という特徴が見えた。これはまあ両者の特徴としてよく言われるところで、それが演題に出てきているところ。こういう違いももちろん面白い。
ところでこのエントリを聞きながらBGMのように「替り目」を流している。ちゃんと聴いているわけではないからいいかげんなんだけれど、日曜日に末広亭で聴いた古今亭菊春の演じ方に雰囲気がそっくりだ。こういう発見もちょっと嬉しい。