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突然ですがこちらに移転しました。

「オツベルと象」を読み返してみた

オツベルと象」の話が何かで出てきた。話の中で「赤衣の童子」の話が出てきた。覚えていない。「オツベルと象」に「子供」は出てきたか?

 

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実は、助けを求める象に、硯と紙を差し出すという重要な役目を担っていた。

 

オツベルと象」に現れる「赤」

「そら、これでしょう。」すぐ眼の前で、可愛い子どもの声がした。象が頭を上げて見ると、赤い着物の童子が立って、硯と紙を捧げていた。象は早速手紙を書いた。

 

書いた手紙を届けるのも、この子供の役割だ。

 

赤衣の童子が、そうして山に着いたのは、ちょうどひるめしごろだった。このとき山の象どもは、沙羅樹の下のくらがりで、碁などをやっていたのだが、額をあつめてこれを見た。

 

子供が出てくるのはここだけ。そういえば「オツベルと象」には、「赤」もたくさん出てくる。

 

 

 

  • 十六人の百姓ひゃくしょうどもが、顔をまるっきりまっ赤にして足で踏ふんで器械をまわし

 

 

  • オツベルが顔をくしゃくしゃにして、まっ赤になって悦び

 

 

  • 赤い張子の大きな靴を、象のうしろのかかとにはめた。

 

 

  • オツベルは房のついた赤い帽子をかぶり

 

 

  • 時には赤い竜の眼をして

 

 

  • 赤い着物の童子が立って

 

 

  • 赤衣の童子が、そうして山に着いたのは、ちょうどひるめしごろだった。

 

 

 

オツベルと象」が、これほど「赤い」物語であったことはすっかり忘れていた。

 

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緊張させつつも、笑いどころの多い物語

ところで読みなおしてみると、「笑うところ」の多さに驚いたりもする。

 

白い象だぜ、ペンキを塗ったのでないぜ。どういうわけで来たかって? そいつは象のことだから、たぶんぶらっと森を出て、ただなにとなく来たのだろう。

 

これはまあ、今の時代なら陳腐な物言いというところに分類されよう。宮沢賢治の時代はどうだったのか。純粋な冗談として持ちだしたのか、それとも既に陳腐化している語り口を笑い話に出してきたのか。いずれにせよ、何らかの「笑いの意図」はあるはずだ。

 

第一みかけがまっ白で、牙はぜんたいきれいな象牙でできている。皮も全体、立派で丈夫な象皮なのだ。

 

こちらは今でも、タイミングを間違わなければ笑ってしまう言い回し。象の牙が象牙なのは当たり前だが、そこで終わらずに「皮も象皮だ」とダメ押しする。「全体」の使い方もすばらしい。これが「笑い」を意識せずに書かれているわけはないだろう。

 

ダメ押し的笑いは他の箇所にもある。

 

「うん、なかなか鎖はいいね。」三あし歩いて象がいう。

 

「そんな評価くらいひと足でやれよ」という読者の反応を想定して、そしてダメを押す。「皆さんは三あしで笑うでしょう。三あしがおもしろければ二あしもありますよ」。

 

「うん、なかなかいいね。」象は二あし歩いてみて、さもうれしそうにそう云った。

 

しかし、笑ってしまった読者に、「本当に笑っちゃってよかったのかな」と緊張させ、不安にさせる言い回しもある。

 

「済まないが税金も高いから、今日はすこうし、川から水を汲んでくれ。」

 

「なんで税金なんだよ。なんで川から水なんだよ」と読者は素直に笑おうとする。但し、そこに内容的には発展がないものの、先ほどまで「笑いの仕掛けである」という形で提示されていた形式が再登場する。

 

「済まないが税金がまたあがる。今日は少うし森から、たきぎを運んでくれ」

 

これまでに出てきた繰り返し作戦だ。しかしこの部分、ほとんど面白くない。何の工夫も深化もなしに「税金」が再度出てくる。してみると「税金」には何か物語的な意味があるのだろうかと読者は悩む。あわせて「ダメ押し形式も笑いを意図してのものではなかったのだろうか」と不安にさせる。

 

そんなことはないのだ。笑って良いのだ。しかし笑いつつも緊張感を保って欲しいというメッセージであるわけだ。そんなわけで、この「税金」話は緊張させすぎたので、お詫びの意味も込めてシンプルな笑い話も披露する。

 

オツベルの犬も気が立って、火のつくように吠ほえながら、やしきの中をはせまわる。

 

緊迫した場面で、人類の友である犬が駆けまわる。犬が何か悪いことをしたわけではないが、しかし殺されるオツベルの友だ。犬にも不幸はやってくるのか。「税金」に続いて読者はさらに緊張する。やはり笑うべき物語ではなかったのだと読者がまじめに反省しかけたところで、一気に弛緩させる。

 

その皺しわくちゃで灰いろの、大きな顔を見あげたとき、オツベルの犬は気絶した。

 

象をみただけで気絶してしまったのだ。役立たずだ。突然登場して、ワンワンと叫んで読者を緊張させ、しかし笑い話のまま舞台から退場する。

 

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象は意外に「弱者」じゃない

ところでこの作品。小学生の頃に読んだときは「かわいそうな象」が、一発逆転をかます物語であると読んでいたような気がする。

 

しかし実のところ、象はさほど「かわいそう」ではない様子。

 

登場シーンから「かわいそうな象」という思い込みを排除する形で綴られている。

 

百姓どもはぎょっとした。なぜぎょっとした? よくきくねえ、何をしだすか知れないじゃないか。

 

「かわいい象」ではなく「何をしだすか知れない」象なのだ。野生なのだ。「弱い」存在ではないのだ。

 

オツベルの振る舞いにも「象の強さ」が表現されている。

 

オツベルは、ならんだ器械のうしろの方で、ポケットに手を入れながら、ちらっと鋭く象を見た。それからすばやく下を向き、何でもないというふうで、いままでどおり往ったり来たりしていたもんだ。

 

「悪い奴」であるオツベルも緊張してしまうほどの存在なのだ。

 

象の強さはその後の会話シーンからも伺える。オツベルが工場は面白いかと尋ねた。

 

「面白いねえ。」象がからだを斜めにして、眼を細くして返事した。

 

象はむしろ「強者」なのだ。人間が作った施設を怖がるのではなく「面白い」と感じている。

 

さらに、助けを求める段階になっても、「強者としての象」が現れている。

 

「ぼくはずいぶん眼にあっている。みんなで出て来て助けてくれ。」

 

「さようなら、サンタマリア」と言った象ではあるけれど、皆に連絡が届けば、必ず助けてもらえるとわかっているのだ。助けてもらえる身分なのだ。おまけに象が協力すれば、オツベルなど問題にならないとも思っているようだ。

 

「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」白象はさびしくわらってそう云った。

 

助かったが、皆に心より礼を言ったり、素直に喜びをわかちあうわけでもない。仲間は鉄砲で撃たれながら、命をかけて助けてくれた。しかし白象は「さびしくわらって」いるのだ。

 

単純に言えば、もともと「取るに足らない」と思っていた人間ごときにうっかり騙された。鼻先であしらっているはずが、いつのまにか主導権を握られ、そして恥をかかされた。そうしたことを後悔しているのかもしれない。

 

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大人になって読み返してもなかなか面白い。