日経新聞の記事で知ったが、「ミートソース」は新潟起源であるという説があるらしい。
あまり知られていないが、明治20年代、新潟県は日本の都道府県で最も人口が多かった。
— maeda, h (@torisan3500) 2022年10月24日
> 【なるほど!ルーツ調査隊】ミートソース 港町・新潟が原点 : 日本経済新聞 https://t.co/bukcrLaicH
今はもう売っていないのかもしれないけれど、昭和50年代ころまで、ミートソースとはマッシュルームのトマト(風)ソース和えに、少しのミートが混ざった缶詰だった。色は「赤」だ。
ある日、母が、お手製のミートソースを作った。彼女は研究熱心でいろんな料理をおいしくつくることを得意にしていた(良い母だった。。。ってか、存命だけど^^)。
なんでもおいしく作る母のお手製ミートソースがまずいわけはない。しかし、色が慣れ親しんだものとあまりに違っていた。彼女の作るミートソースは「茶色」(というか、今風ボロネーゼ色)だったのだ。
ぼくはその色に衝撃を受けた。「鮮やかな赤」から「肉々しい茶色」に色が変わったのだ。なかなか受け入れられない。母も、あまりの色の違いに少々驚いていたように見えた。「え〜、なに、この色?」と騒ぐぼくにむかつきながら(笑)、「おいしくなかったら二度と作らない」とご立腹気味。
食べてみたらむちゃくちゃうまかった。以来ぼくは母の作るミートソースのときは、300gくらいスパゲティを食っていた(笑)。
ミートソース、日本に上陸してくれてありがとう。マッシュルームの赤色ソース和えをミートソースだと信じて一生を終わらずによかったよ。
ちなみに新潟。明治期には、日本で一番人口の多い都道府県だったそうな。これまで何度も聞いたことがあるけれど、いつも聞くたびに驚く(笑)。本当はその「田舎感覚」について記事を書こうと思ってたんだけど、すっかり「ミートソースと母」の話で終わってしまった。
母はもう、最初にミートソースを作った日のことなど覚えていないだろうなあ。だから母の反応を「続編」として書くことはできないね。いつかもともと書こうと思ってた「新潟とかいなかじゃん!」な記事を書こうと思う。