触れられているのは、なぜ「メロス」が名作として生き残っているのか、という話だ。
個人的には『走れメロス』がかなり嫌い。 あれが教科書に載る理由がよくわからない(『富嶽百景』を載せている教科書もあったな。これを載せるのか、と、こちらは感動した)。
上に示した日経新聞の記事でも「『メロスは激怒した』なんて、誰でも書けるじゃないか」と記している。
なぜ「メロス」が「特別だったのか」。門井氏は当時の「文壇美学」と絡めて分析する。すなわち、当時は何事も直接的に表現しないのが良いとされていたとのこと。
記事の中に次のような説明がある。
井伏鱒二は、短篇「丹下氏邸」でこう書いている。
「彼の胸部ははなはだ厚みがあって頑丈(がんじょう)にできていたが、肋骨(ろっこつ)の起伏する具合によると、彼の呼吸は極端に、せっぱつまっていることが判明した。」
まさしく不安という語をもちいずに不安をあらわす文章である。
『走れメロス』は、こうしたやり方に反抗すべく、「怒り」におさまらない「激怒」なんていう「激情」すらも、直接的に表現するだけでなく、かつ冒頭にもってきて大反抗したという見立てだ。
なるほどなあ。確かに「大反抗」なやり方かな。ただ、やっぱり表現的にはチープに見えてしまうんだなあ…(チープに見えることも狙いなんではあろうけれど。しかし学校の授業では「主題の美しさ」なんてことが言われたりするんだな)。
「どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか」なんて王様に「万歳、王様万歳」なんて言えないのはひねくれものだからかどうか。