数学する遺伝子
理系だ文系だと言っても、行き着くところは論理であり同根であるというような記事を以前書きました。
本日の日経にあった書評も同じことを扱っています。タイトルは「数学の能力は言語能力と同じ」。
扱っている本は『数学する遺伝子』で、数学の啓蒙的著作を出している英国人、リチャード・デブリンの本。
言語とは、もともとは思考のための道具である。そしてそれが人間の社会的関係を把握するのに使われるようになった。(中略)数学は、記号と記号の間に関係性を見いだす「パターンの科学」である。これはすなわち、シンボルの社会的関係を把握していることにほかならない。数学は、言語能力を別の用途に使っただけなのである」(日経書評より)
要するに双方ともに必要なのは「論理」ということ。
この書評は冒頭で
理科系と文化系では、頭の使い方から得意分野、さらには性格(?)と、何から何まで異なるというのが普通のイメージと書いているけど、そもそもそういう感覚も薄いな。
そういうイメージは「文系」と言いつつ「感性」という用語にもたれかかる、単なる「文学かぶれ」の主張に安易に流れているんじゃないかな。
難を言えば、著者はやはり一般人より数学ができすぎるのだ。(中略)それで数学は言語と同じ、と言われても、ちょっと説得力が弱いなどと書評子に言われているけれど、ちょっと読んでみたい本ですね。