ぼくは、人の「裏切り」に対する耐性がない。明白な裏切り行為はもちろん、「期待を裏切られる」ことにも耐えられない。
そんなわけで、ぼくは生まれてから一度も「参政権」を行使したことがない。馬鹿だから、「裏切る」に決まっている人を「支持」する理由がわからないのだ。
そんなぼくが、新たに「政治に参加しない理由」を見つけた。
魂に動揺がないような平静の境地である「アタラクシア」を得るためには、利害損得や野心がうずまく政治や公共的なつきあいは避けなければなりません。そのことを示すのが、エピクロス派のモットー「隠れて生きよ」です。
— maeda, h (@torisan3500) 2023年2月15日
via 『試験に出る哲学』(斎藤哲也)https://t.co/dtHDWzkf9c
嗚呼。ぼくは学生時代、浅い理解に基づいて「快楽主義」を主張していたよ。その「快楽主義」を主張した「エピクロス派」のモットーは「隠れて生きよ」だったんだな。「隠れて生きる」身としては「政治不参加」は当然じゃないのか。しかも、不参加の理由がいちいち心に刺さる。
18歳の頃のぼくは、感覚的に自らの「快楽主義者」としての意味を感じていた。でもそれを理論化できずに(ちょっと)困っていた。エピクロスを勉強すればすぐにわかったことだったのだなあ…。
18歳からこれまで、ぶれずに生きてきた自分を可愛く思った今日だった。