ぼくの大学生活は、かなりの部分、大江健三郎とともにあった。もちろん、人的交流ではなく、作品との交流に過ぎないのだけれど。
高校時代のぼくは、大江健三郎といえば『ヒロシマ・ノート』や『沖縄ノート』だった。これが驚くほどつまらない。
だけど、大学で出会った尊敬すべき友人が「大江健三郎はいいね」と言っていたのを聞き、それがきっかけで小説を読んだ。そしてぼくは夢中になった。
最初に読んだのは『性的人間』だったかな。それとも『死者の奢り』だったかもしれない。その流れで『芽むしり仔撃ち』に衝撃を受けた。『万延元年のフットボール』には「小説にはこんなことまで許されるのか!」と衝撃を受けた。
なお、ぼくは今、ウィリアム・ブレイクの詩をいくつか暗唱できるけれど、それも大江健三郎の影響だ。
「レインツリー」の時期になって、(コンセプトの面白さは感じたものの)作品としての大江健三郎を楽しめなくなった。加えて、彼の政治的発言や時代に言及するエッセイには共感できなかった。
だけど、大学生のぼくの35%くらいは大江健三郎でできていたかもしれない。教養主義時代の最後の巨人だったかも。彼が存在したことに感謝します。
ありがとうございました。