ぼくは「神があるものとしてふるまう」生き方に興味を持っている。それを「信仰」と呼ぶのかどうかは、まあ微妙な問題だ。
それはともかく。「宗教」というのはしばしば(大きな)問題を起こす(歴史的に見れば十字軍だったり、あるいは安倍首相殺害だったり)。「宗教」が問題を起こすなら、「信仰」も問題の端緒なのかどうか。
そんなことを考えるときに、思考の「ヒント」を得た。
「宗教」の行為は、人間に対して効果があればよいので、神の態度や立場に沿ったものであるとは限りません。
— maeda, h (@torisan3500) 2023年6月6日
via 『別冊NHK100分de名著 旧約聖書』(加藤隆)https://t.co/CzBJoblpxy
このテキストをぼくなりに解釈すれば、すなわち「信仰」と「宗教」は別物だということだ。宗教は、人々を如何に「信じさせるか」にかかっており、「神―個人」の関係はしばしばシカトされる。
「宗教」が、「個人―神」の関係を無視するというのは面白い見解だなあ。いわれてみれば「ごもっとも」なんだけど、ぼくはそのような視点からものを見ることができないでいた。
『100分で名著』で取り上げられる書籍はたいてい読んだことがあるものばかりなんだけど、すごくたくさん刺激を受ける。学者、すげえな(笑)。加えて「勉強」って、ほんと面白いな。
なお、この投稿の内容に沿っていえば、ぼくは「信仰」を持っている。でも「宗教」には参加していない。まあ、そんなことを思った人がたくさんいたから「宗教改革」なんかがおきたわけで、ぼくのポジションの優位性を主張するつもりはない(^^)。