源氏物語がウケる理由
ぼくは『源氏物語』が嫌いだ(何度か通読はした)。男と女がチープに(笑)どうしたこうしたの話がずっと続いて、全く興味が持てないのだ。
ただ、これだけ評価されている文学作品。ぼくにわからないスゴさなんかがあるんだろうとは思ってる。
だけど、何度読んでもつまらない。恋人に「あなたが源氏を読めないのは悲しいことね」なんて言われてショックを受けたりしたけれど、でも源氏物語は好きになれない。
ずっとそんなことを感じてきたんだけど、これまで知らなかった「源氏評価の理由」を目にして「ああ、やはり源氏はぼくに向かないな」と心安らかになった。
ぼくが不勉強にして知らなかった「源氏評価の理由」を教えてくれたのは『もっと試験に出る哲学: 「入試問題」で東洋思想に入門する』だ。
宣長は、仏教や儒教が教える道徳的な教訓があることを文芸の本質とは考えなかった。そうではなく、恋をしているときに湧き起こる、どうにもならない感興を「もののあはれ」と表現し、「もののあはれ」を知る人を「心ある人」と呼びます。
— maeda, h (@torisan3500) 2023年1月26日
via 『もっと試験に出る哲学』https://t.co/4oiNPISvbI
すなわち、仏教や儒教など「借り物」の思想で日本の意識を語ることをよしとせず、恋や欲望に振り回される心こそ「もののあはれ」であり「日本の心」と評価した(そしてそこから源氏評価が高まった)とのこと。
これはぼくには「つまらない話」に思える。男女間の「もののあはれ」(もののあはれ全体を否定するわけではない)ごときで文学を評価する立場に与することはできないな。
ぼくは『もっと試験に出る哲学』のおかげで、自分の源氏嫌いが正当化された気分になり、かなりハッピーに感じている。もしかすると著者の斎藤哲也氏も源氏物語が嫌いなのかもしれないね(^^)?
とりあえず今日は、ぼくの「アンチ源氏記念日」だな。