時代が悪かった、ことにさせてもらいたい。
たとえばグラムシに関する本に載っていた、フェミニストの論考は「グラムシはフェミニズムについて何も言っていないけれど、しかし彼の立論からするとこういう問題を感じていたはずだ!」なんていう、魔術系のフェミニストが多かった。
ぼくは自分でも使えないせいで、「魔術」は嫌いだ。そんなわけで1980年代からずっと、フェミニズムについての勉強を怠ってきた。
そんなぼくだけど、なぜか突然、上野千鶴子を読んでいる。
さまざまな制約を、そのまま「マルクスの限界は…」と語っているように見える口調は気に入らない。でも本書、そうとう面白い。
たとえばこんな言葉はどうだろう?
「女だって人間よ」という認識が女性解放の第一歩だとしたら、フェミニズムは近代的人権思想のうちにその根拠を持っていた。したがってそれは近代の生んだ「人間」という概念のうちに、その根拠も限界も同時に持っていたのである。
— maeda, h (@torisan3500) 2023年2月28日
via 『家父長制と資本制』(上野千鶴子)https://t.co/YHIH9U7P7Z
フェミニストにとっては「当然」すぎる話かもしれない。しかしこの「限界」を明らかに突きつけてくる論考に、ぼくはこれまで出会ってこなかった(フェミニズムから逃げっていたから)。
もうちょっと軽いところを引用すれば、次のようなのはどうだ?
フェミニズムの理論は、女性たちに不満と怒りをひきおこす点で、トラブルメーカーである。だが、この「剝奪」の認識を通じて「女性=被抑圧階級」としての「女性階級 women class」意識の形成がなされるのである。
— maeda, h (@torisan3500) 2023年3月6日
via 『家父長制と資本制』(上野千鶴子)https://t.co/xXqHmq5Vsu
「フェミニズムはうざい」。「うざいけどね…」という語り口。ぼくは不勉強にして、そういう語り口にも出会わずにいた。
「今更なんで上野千鶴子なんだよ」という声が聞こえる気もする。ただ、フェミニズム(や、ウーマンリブ)の言説から逃げまくってきたぼくに、上野千鶴子が面白い。
これまでの不勉強を恥じつつ、勉強させてもらっているところ。